バルブ
彦根バルブの歴史
明治20年頃、仏具装身具の錺金具職人であった門野留吉翁が信州の製糸工場から蒸気カランの製作を頼まれ、錺金具の技術を活かして注文に答えたのがきっかけといわれています。
当時の雇用形態は徒弟制度が主流で、門野翁のもとで修業を積んだ職人たちが独立し、業界形成の始まりとなりました。時代のニーズに応じて、水道用、産業用、船用バルブなどの製造を行い、自社ブランド製品で地位を築いてきました。
現在では、27社前後のブランドメーカーとそれを支える約70~80社からなる関連企業で業界を形成し、業界で働く従業員数は合わせて約1,500人にのぼり、滋賀県内最大の地場産業として成長してきました。メーカーは全国にもありますが、これだけの企業が集積する産地は全国唯一であり、最大規模のバルブ集積地になっています。
ビワライトの誕生
近年、厚生労働省は水道水の安全性を高めるため、水道施設に使用される機器から溶出する物質の溶出基準を強化しました。そこで彦根バルブではバルブの材料として、鉛を含まない銅合金鋳物「ビワライト」を開発しました。関西大学、滋賀県東北部工業技術センターと共同で開発を行い、約7年をかけて、目標通りの試作品が完成、製法特許を取得しました。
高価で希少な合金化元素を使用しないことでコストアップを抑え、鋳造製が良く、リサイクルが可能です。更に、健康面の安全性を向上することができるという特性を持っています。