参加各隊の紹介


会津藩鉄砲隊(福島県)

【隊の由来】
会津藩稲富流砲術の歴史は、会津松平藩祖 保科正之公が山形藩主時代の寛永14年(1637)に稲富流砲術家 江尻吉次(治左衛門)と明石貞興(作左衛門)を召し抱えたことに始まる。寛永20年(1643)、藩主 保科正之公の会津移封に随従した、江尻吉次と明石貞興が会津藩稲富流砲術の始祖となり、研究と改良を加え亜流を生みながら幕末に至るまで代々伝えられた。

【特徴・活動状況】
稲富流砲術の伝書には、美術的絵画としても高く評価されそうな、極彩色の絢爛たる絵画が挿入された豪華なものが各地に残されており、その伝書を基に、現在の会津藩稲富流砲術では「居放し」「伏せ放し」「膝台放し」「中放し」「逆膝放し」「諸折放し」「腰放し」「立ち放し」等の射撃姿勢(型)の他に、「順射」「連射」「乱れ射ち」「斉射」の射法を再現している。

【今回のサミットへの意気込み】
会津藩稲富流砲術を全国へ発信。



米沢藩古式砲術保存会(山形県)

【隊の由来】
明治34年1月8日、日露戦争旅順陥落の市民大祝勝会が行われた。この時、市中を甲冑行列し松川川原において川中島模擬戦が行われた。以後、上杉神社祭礼には古式武装行列を行うこととなった。保存会の前身である。尚武要鑑会を明治38年に結成し行列、模擬戦に参加し発砲演武が行われ、昭和18年頃まで続いた。戦後昭和30年に尚武要鑑会を再興し、武者行列に騎馬隊・鉄砲隊が加わった。集団演武の際、宮坂善助翁が中心となり、発砲体制を稲富流の実践射法により三隊編成とした。昭和36年隊の名称を米沢藩稲富流鉄砲隊とし、国体、オリンピック等などで演武、活動も全国規模となった。火縄銃30匁筒は、米沢市の文化財として指定を受けたが陳列しておくだけでは、その真価をみることは出来ないので、火縄銃の取扱や発砲の威力を感じてもらいたいと考えた。その古式砲術の発砲演武だけでなく、伝統文化の伝承のため、昭和54年米沢藩古式砲術保存会と改組、現在に至っている。

【特徴・活動状況】
平成元年、日本文化を紹介する「ヨーロッパジャパンウイーク」参加でフランスへ、平成4年バルセロナオリンピックの年、スペインへ、国際的な交流を図る。平成7年5月4日、第1回日本古式砲術サミットが米沢市で開催され、全国から7団体が参加、見事な古式砲術を披露した。現在、笛吹市桃の花まつり、新城市長篠合戦まつり、南魚沼市兼続公まつり、上越市謙信公祭遠征等の他、米沢上杉まつり川中島合戦にて集団演武を披露している。「上杉の雷筒」と恐れられたその威力は今でも驚嘆させられる。実践さながらのこの砲術は戦国の絵巻を見事に再現している。

【今回のサミットへの意気込み】
米沢の雷筒をサミットにおいてアピールしたい。



中島流炮術千葉城鉄炮隊(千葉県)

【隊の由来】
中島流の祖は中島太兵衛長守。先祖は尾張中島郡の出身。代々織田家に仕えていた。その後、武術流を武術善樹に、自得流を大野範に佐々木流を成季に学び、三流を勘案して自流を開く。享保9年(1725年)のことである。「中島流砲術管閑録」は鉄砲製作の著書として有名。中島流の流れをくむものに森重流などがあり、砲術の基礎を形造っている。砲術の型に「柄台の型」がある。刀をたてて「鍔(ツバ)」の上に銃身をのせて打つこの型は、他流派にもない、中島流独特の型である。近年になり、古代史砲術研究者で有名な安斎実氏により、中島流の砲術復元の使命を受けて、霜禮次郎(千葉市)が平成7年(1995年)より会員15名と同流派を復活する。中島流砲術は千葉市郷土博物館に所属し、流派の伝承を通じて古流砲術の研究、保存に努力している。会員が実砲射撃を行い、古文書や口伝による技法を取り入れ、流派だけの射撃大会、練習を行い、全日本前装銃射撃大会では会員が上位入賞している。

【特徴・活動状況】
「持ち筒」 馬上筒、10匁筒、30匁筒、50匁筒、100匁筒、350匁
「主な活動内容」 千葉城まつり、成田山行事、中島流射撃大会、南総里見まつり、佐倉時代まつり、タンゼントハリス除幕式、関宿城まつり、日本前装銃射撃大会、大多喜城文化芸術まつり、土浦城まつり



江戸幕府鉄炮組百人隊保存会(東京都) ホームページリンク

【隊の由来】
天正18年(1590年)徳川家康が秀吉の命により、三河より江戸へ入国の際、腹心の服部半蔵正成を頭領とする、御鉄砲百人組にその警護にあたらせ先陣を務めました。関ヶ原の戦の翌年(1601年)、御鉄砲百人組は正式に徳川幕閣として創設され、その後「百人組大縄屋敷」として、現在の新宿区百人町1〜4丁目に幕末まで定住いたしました。

【特徴・活動状況】
昭和36年、この史実を後世に伝え残すべく、地元、皆中稲荷神社の大祭に隔年で「江戸幕府鉄砲組百人隊出陣の儀」として奉納され、昨年をもって25回を数え、明年(9/25)の出陣は創立50周年記念出陣となります。各地区で行われるイベントに協賛出陣する等、マスコミ等にも注目され、先月2/24にはNHKTV「ブラタモリ」に出演いたしました。

【今回のサミットへの意気込み】
全国各地の「砲友」の皆様と交流を深め、今後一層、当会が発展することを願い、彦根城において立派な演武を披露したいと意気込んでおります。



駿府古式炮術研究会(静岡県)  ホームページリンク

【隊の由来】
火縄銃の歴史と郷土の関わりを研究しつつ、古式砲術演武や火縄銃等の展示をする研究会として平成12年4月に結成しました。演武鉄砲隊は大御所徳川家康お膝元駿府(現静岡市)にちなみ、「駿府鉄炮衆」と名付け、歴史的に貴重な文化財である鉄砲を広く県民に知っていただきたく活動を駿府城を始め各地で活動を行っています。

【特徴・活動状況】
県内各地での古式演武・展示を行う他、時代の変遷で途絶えている鉄砲祭り等の復活に力を注いでいます。指揮者の指揮棒と放ての掛け声の下、整然とした動きと火縄銃の音が轟く様は圧巻です。

【今回のサミットへの意気込み】
当隊は、大御所徳川家康のお膝元で活動を行っており、彦根城の井伊家は徳川の重臣であります。同じ徳川勢として地元と同様に考えており、日頃鍛えた整然とした古式炮術演武を披露いたします。



松本城鉄砲隊(長野県)  ホームページリンク

【隊の由来】
昭和六十三年に松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が松本市に百四十一挺の火縄銃と関連資料を寄贈され、火縄銃による攻防を予想して築城された松本城に、「松本城鉄砲蔵」が開設されました。これを機に「松本城鉄砲蔵赤羽コレクション会」が設立されました。松本城鉄砲隊はこの会の活動の一つとして平成二年に結成されました。

【特徴・活動状況】
現在隊員十六名。毎月定例練習をして「松本藩御家流砲術」の復元伝承に努めています。全国各地からの依頼により隊を派遣するほか、松本城関連の各種催事にも積極的に参加しています。

【今回サミットへの意気込み】
彦根市と松本市は国宝四城のお仲間として、国宝彦根金亀城が見守る中で、火縄銃の演武披露ができますことは、大変名誉なことであります。



信州真田鉄砲隊(長野県)

【隊の由来】
戦国時代、信州上田城を居城とした真田一族は、徳川家康と対立、天正13年の「上田合戦」と慶長5年「関ヶ原の合戦」の二度にわたり10倍近い徳川軍に攻められますが、巧みな籠城戦により徳川軍を上田城内に誘い込み、引き付けた所へ、鉄砲隊による火縄銃の一斉射撃を浴びせ見事に撃退しました。上田城の籠城戦は火縄銃の威力を存分に示した戦の一つに数えられています。
この様な歴史を後世に伝えようと、堺鉄砲研究会の澤田平先生に真田流火術の流儀保存、指南を依頼、調査、鍛錬により、平成6年、真田流火術を伝承する信州真田鉄砲隊が発足しました。
以来、真田赤備え具足に、六文銭の旗印を背負い砲術演武を行っています。

【特徴・活動状況】
信州真田鉄砲隊は戦国時代、敵方からも「真田、日本一の兵なり」と称えられた真田幸村公の直参鉄砲隊です。武田信玄公の先方衆以来の赤備え具足に、三途の川の渡し賃を表す「六文銭の旗印」を背負い、真田一族に関係する長野・群馬・大阪等のイベントを中心に真田流火術の砲術演武を行い、古式砲術の伝承に務めています。

【今回サミットへの意気込み】
戦国時代、東軍徳川家康公の四天王に数えられた井伊直政公の赤備えの彦根鉄砲隊と、西軍豊臣家に最後まで儀を貫いた真田幸村公の赤備えの真田鉄砲隊が、四百年の歳月を経て、彦根城において肩を並べ砲術演武を行う事に感激しております。



愛知県古銃研究会炮術隊(愛知県)

【隊の由来】
日本が最も混乱を極めた時代、戦国時代、尾張国に織田信長、豊臣秀吉、三河国に徳川家康が誕生しました。やがて、日本の歴史は彼らを中心に動き始めます。桶狭間の戦い、長篠・設楽原の戦い、小牧・長久手の戦いなど、愛知県は、その後の歴史を左右するような著名な戦いがいくつも行われた地域でもあります。そして、天下統一を目指していた彼らが注目したもの・・・それが【火縄銃】でした・・・
私たち、愛知県古銃研究会は火縄銃の研究や演武を通じて、こうした歴史を後世に残し伝えていこうと考えています。

【特徴・活動状況】
岡崎家康公行列(愛知県岡崎市)、明智光秀公まつり(岐阜県恵那市)、越前朝倉戦国まつり(福井県福井市)、岐阜信長まつり(岐阜県岐阜市)、西尾城趾まつり(愛知県西尾市)、清洲城ふるさとまつり(愛知県清洲市)など年間約20箇所で演武を行っています。

【今回のサミットへの意気込み】
愛知県は戦国の三英傑が誕生した地です。ゆかりの地で演武できることを楽しみにしております。



名古屋城鉄砲隊(愛知県)  ホームページリンク

【隊の由来】
鉄砲史学会、愛知県支部長の野々山修先生の依頼による尾張藩に伝わる尾張田付流を平成5年7月24日徳川美術館にて発表し現在に至る。

【特徴・活動状況】
当流は田付兵庫助影澄が慶長年間に創始したと云われ、尾張徳川家の近習の為の砲術として受け継がれてきた。名古屋城を中心に豊田市・津島市・土岐市等にて演武に参加しています。

【今回のサミットへの意気込み】
各鉄砲隊の演武をじっくり拝見し今後の活動に生かしたいと思っています。他の鉄砲隊に迷惑を掛けないよう確りと演武したい。



長篠・設楽原鉄砲隊(愛知県)

【隊の由来】
天正3年(1575)5月に火縄銃の戦いとして知られる〔長篠・設楽原の戦い〕が行われた。その激戦地に設立された鉄砲隊です。隊の目的として、

  1. 長篠・設楽原の戦いを調査、研究し、正しく後世に継承する
  2. この戦いで命を落とした将兵などの「供養」「鎮魂」と平和を祈る
  3. 砲術を通じて、「心技体」の修練を図る。
  4. 火縄銃や武具などの調査研究を行う。
  5. 長篠・設楽原の戦いという歴史を通じて、関係地域との交流を深める。

【特徴・活動状況】
『隊員は常に「一放一念」火蓋切り、「一音一供」の「浄」の音放つ』を胸に演武を行っています。
 ・設楽原決戦場まつり(愛知県新城市)・長篠城のぼりまつり(愛知県新城市)・亀山古城まつり(愛知県新城市)・炎の祭典(愛知県豊橋市)・武田神社信玄公まつり(山梨県甲府市)・武田勝頼新府入城まつり(山梨県韮崎市)など年間約18箇所で演武を行っています。

【今回のサミットへの意気込み】
愛知県新城市は井伊直弼とともに日本を開国に導いた岩瀬忠震ゆかりの地でもあります。戦国、幕末と少なからず縁の在る彦根の地で演武させていただくことを感謝しております。隊員一同、「一放一念」を胸に秘め、演武させていただきます。



大垣城鉄砲隊(大垣藩田付流古式砲術研究会)(岐阜県)

【隊の由来】
平成11年決戦関ヶ原「大垣博」関ヶ原合戦400年祭を前にして、大垣十万石まつり出陣の為編成し、現在に至って居ります。

【特徴・活動状況】
大垣藩十万石戸田家に伝承された田付流砲術を研究、2000年の大垣博には半年間毎週日曜日の会場にて演武を行い他県から鉄砲隊との交流を深め、大垣博の成功に大きく貢献できました。今は年間10回くらいの出陣演武を披露しています。

【今回のサミットへの意気込み】
全国の鉄砲隊の前での演武、今から緊張しておりますが、隣県ですので楽しみにして居ります。皆様方の演武を見させて頂き勉強させていただきます。



国友鉄砲研究会(能當流砲術)(滋賀県長浜市)

【隊の由来】
国友は火縄銃三大生産地の1つであり、また昭和50年頃長浜城(博物館)として再興されるにあたりこの期を逃してはと思い仲間をつのり結成(国友鉄砲コーナーも有ると聞き)

【特徴・活動状況】
文献をもとに歴史研究、大縄銃の書い足し運動、出版物

【今回のサミットへの意気込み】
彦根と長浜はいろんな意味で繋がりがあり出来る限り協力していきたい。



日野筒鉄砲研究会(滋賀県蒲生郡)

【隊の由来】
火縄銃が種子島へ伝えられ、その十数年後には、私ども日野町でも製造されることとなりました。蒲生氏郷公の父親でありました蒲生賢秀公の命により鉄砲産業は、大きな発展をとげ、皆様ご存知の関ヶ原の戦いや大坂夏の陣、冬の陣において、この日野筒鉄砲が大きな力を発揮し、活躍したと記されています。こういった歴史を残すように、日野町には鍛冶屋が集まった町 上鍛冶町や、下鍛冶町、玉をつくっていた玉屋町などの地名が現在も残っています。日野町商工会では、こういった歴史や文化を後世に継承するため、日野筒鉄砲研究会を発足させ、保存伝承活動を進めて参りました。

【特徴・活動状況】
現在隊員数8名。日野町で行われる氏郷まつりや三重県松阪市で行われる氏郷まつりで演武を行っております。

【今回のサミットへの意気込み】
各鉄砲隊の皆さんの演武を拝見させて頂けることを楽しみにしております。



堺火縄銃保存会(大阪府)

【隊の由来】
昭和55年10年(1980年)堺市在住の有志で堺火縄銃保存会を結成する。中世の自由都市、堺商人の文化遺産、堺火縄銃とその文献資料を後世に伝承する目的で創立いたしました。

【特徴・活動状況】
我が国の戦国時代、堺に鉄砲と火薬の製法が伝えられ、堺が一大生産となり、乱世を治める大きな役割を果たしました。私たち堺火縄銃保存会はこの堺鉄砲鍛冶が火縄銃製作のための試し撃ちや、伝播のための演武を繰り返した、いにしえの立ち居振る舞い等を研究し、皆様に火縄銃を身近に感じていただくための活動を続けています。

【今回のサミットへの意気込み】
全国各地の鉄砲隊との交流が少ないので、各隊の演武を拝見させて頂こうと思います。又毎年「堺まつり」では合する(彦根商工会議所)鉄砲隊様との再会を楽しみにしております。



大阪城鉄砲隊(大阪府)

【隊の由来】
大阪城をホームベースとして、鉄砲史研究と六百流を超える日本古式砲術の研究のために昭和五十年に大阪城鉄砲隊を設立。全国の城下町鉄砲隊のモデルとなりました。

【特徴・活動状況】
講演・鉄砲史研究発表・出版・毎年数隊の新設鉄砲隊発足のための御指導と、全国への出陣数三十回ほどが年中行事となっています。

【今回のサミットへの意気込み】
懐かしい名城、彦根城で彦根鉄砲隊の皆様への再会が嬉しいです。素晴らしい鉄砲隊になられました。



根来史研究会根来鉄砲隊(和歌山県)

【隊の由来】
和歌山県岩出市にある真義真言宗総本山の根来寺は、覚鑁上人によって開かれ、後に学問の寺として繁栄し中世には大寺院であった。寺の繁栄とともに警護のための僧兵の勢力も次第に強くなり、やがて戦国武将から「根来衆」として恐れられる存在であった。
1543年に種子島へ鉄砲が伝来するや、その翌年には津田監物によって根来の地に鉄砲をもたらしたことから僧兵による鉄砲隊が組織された。

【特徴・活動状況】
特徴としては、全国数ある鉄砲隊の中でも、僧兵姿は唯一「根来鉄砲隊」であります。
・いわで夏まつり(毎年8月)
・堺まつりパレード(毎年10月)
・紀州根来寺かくばん祭り(毎年11月)
・その他招請により各種イベントへの出陣
・地元中学校の総合学習での講演など

【今回のサミットへの意気込み】
彦根への根来鉄砲隊の出陣は、実に平成元年10月以来であり、久々の参加となったことでたいへんうれしく思います。また1年に三度も同士と会えるのも初めてのことです。



紀州雑賀鉄砲衆(和歌山県)  ホームページリンク

【隊の由来】
戦国時代初期、火縄銃が日本に伝来して、それまでの戦いに大きな変化をもたらし、鉄砲の運用戦術が生まれてきました。紀州雑賀にも、お隣の根来からいち早く火縄銃が伝わり、あの天下統一を図る信長を10年余り、苦しめた雑賀孫市(鈴木孫市)という時のヒーローが誕生しました。紀州和歌山に有能なすばらしい人物や軍団が活躍していたことを、地元のみならず広く全国に又世界に知ってもらおうと結成いたしました。

【特徴・活動状況】
大きな特徴は、通常の演武以外にも、黒潮躍虎太鼓の皆様とのコラボレーションを行なうことに特徴があります。これは雑賀孫市が勝利を祝って踊りの要素を含めた戦勝太鼓です。その中で実際に空包発砲を行なっています。例年の事業としては、孫市まつり、紀州ぶんだらおどり、市駅夏祭りなど参加、又毎年十数校の小中学校に出向き、授業・交流・認識を高めるための啓蒙活動をしています。過去にはオーストリア・ウィーン、オーストラリア・シドニーにも太鼓と同行し演武を行ないました。

【今回のサミットへの意気込み】
他の鉄砲隊との交流、演武方法など見学し研鑽を高めたい。



備州岡山城鉄砲隊(岡山県)

【隊の由来】
岡山城鉄砲隊は、藤岡流古式砲術を継承している火縄銃の砲術隊で、昭和58年、甲冑の会(日甲研)甲冑好きが集まり岡山城鉄砲隊として結成されました。ほとんどの隊員が本物の甲冑を身につけて演武を行っています。日本で武道専門の学校が2校ありますが、我々の隊は尚武館道場で頂いた初段〜8段範士までの隊員が19名います。現在高梁支部(備中松山藩鉄砲組)も含め32名の隊員で年間古式道祭を含めて20回前後県内外の各地に出掛け活動しています。

【特徴・活動状況】
■備州岡山城鉄砲隊プロフィール
岡山城鉄砲隊は、藤岡流古式砲術を継承している火縄銃の砲術隊で昭和58年岡山城鉄砲隊として結成された。古式砲術の披露と古式銃の展示・講演活動も行っています。特徴として全員で馬上筒と軍用筒、それに20匁〜80匁までの大筒、10丁〜15丁による変化にとんだ演武流派の伝承を通じて、古式銃の研究と保存に努めています。
■備州岡山城鉄砲隊主な活動場所
岡山城、備中松山城、津山城、高松城、鳥取城、丸亀城、備前片上城まつり、大洲城、岩村城、岡山古武道祭、岡山国体、大垣城、中世夢が原、島根県三澤城、備前長船名刀まつり、岩国、岡山秋の桃太郎まつり、関ヶ原合戦祭、熊野神社祭、茶屋町開拓祭、紀州鉄砲まつり、玉島羽黒神社、因島水軍まつり、坂出塩まつり、島根県広瀬町戦国尼子大集会、岡南ふれあいまつり、明石(時のウィーク)、阿智神社古武道祭、赤磐市吉井町城山公園、高梁宇治さくらまつり、舞鶴田辺城まつり、矢掛宿場まつり、新庄がいせん桜まつり、姫路お城まつり、種子島鉄砲まつり、熊本葦北全国火縄銃サミットなど年間20回前後活動しています。
■藤岡流砲術の由来
藤岡流古式砲術は、慶長年間、近江甲賀の住人、元祖藤岡六左衛門長悦が創始したものである。初代藤岡六左衛門長悦は、稲富流の小筒を得意とし、それを池田輝政に見込まれて、慶長14年に播磨100万石宰相と呼ばれた姫路の池田輝政に250石で召抱えられた。長悦は稲富流の小筒に、種子島鉄砲大筒の抱え撃ちを砲技に加えた。輝政の死後、長悦は池田忠継に仕え、慶長19年の大坂の陣では、輝政から拝領の30目玉の鉄砲を放って功績をあげ350石取りの侍になった。慶長期、因幡藩の池田家に仕え、その後岡山藩に仕えた。以来、岡山藩の砲術として藤岡流は、面々と受け継がれた。特に藤岡流砲術は藩主に近接した流派である。

【今回のサミットへの意気込み】
10分間の持ち時間の中、軍用筒、馬上筒、大筒、士筒と4種類の火縄銃で変化に富んだ砲術を披露します。



岩国藩鉄砲隊保存会(山口県)  ホームページリンク

【隊の由来】
岩国藩は、関ヶ原合戦の後吉川広家公が出雲(島根県)富田(とだ)から周防国(山口県)玖珂郡に移封され岩国を本拠としたことにより始まる。
岩国藩鉄砲組の砲術流派「石田流」は、慶長年間(1596〜)吉川広家公が出雲富田城主の時、家臣の有坂長次を豊臣秀吉公の砲術師範であった石田玄斎の元に派遣し、石田流を伝授させ、以後「石田流砲術」は連綿として有坂家に受継がれ、岩国藩の砲術として伝承された。
岩国藩鉄砲隊保存会は、かつて岩国藩の砲術として伝えられた石田流を保存継承するため、地元の有志を中心に昭和62年に発足し、今年で23年目となる。

【特徴・活動状況】
石田流の成立は古く、流祖・石田玄斎政吉の発行した元和四年(1618)の砲術免許状が現存しており、射撃姿勢や鉄砲構えに特徴があり、四人一組による速射法など本来実戦に即した砲術である。
岩国藩鉄砲隊は、創立以来23年にわたり、天下の名橋「錦帯橋」周辺で、年間8回の定期訓練、恒例となった新年元旦の「初放し」、4月29日の「錦帯橋まつり」で演武をおこなうとともに、各地に招かれてのイベントでの演武のほか、地域や学校と提携し火縄銃資料の展示や日本の歴史、伝統等に関する啓蒙活動を活発に行っている。

【今回のサミットへの意気込み】
日本各地の諸先輩鉄砲隊の方々から、多くの物を学び取り、鉄砲道に邁進したいと思っております。



葦北鉄砲隊(熊本県) 

【隊の由来】
私たちは、郷土の鉄砲隊の伝統文化の継承と、歴史の変わり目に大きな影響を与えた火縄銃の技術を現代に体現するべく、火縄銃伝来460年の節目の年、平成15年秋に結成されました。隊員一同「情熱と献身」を合言葉に、我が郷土芦北の伝統文化を熊本の伝統文化、日本の伝統文化として誇りをもって伝えています。どうぞよろしくお願い致します。

【特徴・活動状況】
葦北鉄砲隊は、寛永年間中頃(1630年代)肥後熊本藩細川氏が葦北地方の防衛体制の一翼を担う軍事的な目的と、加藤家の旧勢力の違臣を権力機構に取り込み統治を安定させるため、在地浪人からなる地侍で鉄砲隊を組織したのが始まりでございます。寛永15年の天草・島原の乱での原城総攻撃において目覚ましい活躍をみせ、熊本藩士が直接指揮をとる藩直属の鉄砲隊「葦北御郡筒」として、最大規模の時には430名に上る鉄砲隊として、明治3年(1870年)まで存在しておりました。私たちは、この240年間の長きに渡り葦北を護っていた鉄砲隊の伝承と、歴史の変わり目に大きな影響を与えた火縄銃の技術を現代に体現するべく、火縄銃伝来460年の節目の年、平成15年(2003年)秋に結成されました。当時の葦北鉄砲隊が実際に使用していた「稲富流砲術」の再現により演武を行っており、1年間の演武回数は約50回を数え、現在までの主な演武活動としたしましては、熊本城築城400年祭演武、山口での2006国際文化祭演武、東京都新宿区「江戸幕府鉄砲組百人隊出陣の儀」への遠征、英国ロンドン塔、リーズの王立武器博物館演武などを行い、日本国内各地から海外の遠征までを行っております。



種子島火縄銃保存会(鹿児島県)

【隊の由来】
1543年種子島の南端門倉岬に一隻の中国船が漂着。乗っていたポルトガル人が持っていた火縄銃に着目した時の島主種子島時堯はその威力を見抜き、大金二千両で鉄砲二丁を買い求め、翌年には種子島で国産化され、その後日本の大名達に広まり、この鉄砲の使用で室町乱世は急速に集約され、織田信長、豊臣秀吉による天下統一への歩みを早めました。海洋文化の接点でもありました種子島のこの歴史的事実、先人達の偉業を後世に残すため、昭和46年種子島火縄銃同好会が発足し、翌47年には種子島火縄銃保存会として組織改正し、以来火縄銃の保存、流儀の保存・研究を行っております。

【特徴・活動状況】
種子島火縄銃保存会の結成以来、友好都市の大阪府堺市、滋賀県長浜市と交流を深め、それぞれのまつりにおいて互いに毎年火縄銃の演武披露を行っています。島内のイベントはもとより、県内外のイベントにも積極的に参加しています。
最近では、修学旅行向けの火縄銃演武要請も多く、年間30回程度の試射を行っています。今年は日ポ修好150周年記念で、ポルトガルポルト市で11月に行われるJAPAN WEEKへの参加要請があり、参加することになっています。

【今回のサミットへの意気込み】
昨年の西之表市市制施行50周年記念事業として行われた「鉄砲伝来 今よみがえる種子島 全国火縄銃大会」において彦根鉄砲隊にも参加いただき誠に有難うございました。今回はお礼と感謝の意味を込め、他団体との交流も深めながら精一杯の演武を披露したいと思います。



豊後大友宗麟鉄砲隊(大分県)  ホームページリンク

【隊の由来】
日本初の大砲「国崩し」や西洋文化を導入して、九州六カ国の覇者となった豊後の英雄「大友宗麟」の偉業を顕彰し、450年前の戦国時代、世界に紹介された活力のある豊後の姿を火縄銃演武を再現し、大分の誇りある歴史を後世に伝えるため結成されました。

【特徴・活動状況】
大分県内を中心に「火縄銃の歴史」講演会や町おこしに協力して火縄銃の演武を披露しています。特に豊後大友氏の業績の顕彰活動や大分市の歴史遺産として整備保存されている、大友氏遺跡体験学習館の事業に協力して南蛮文化が咲き誇り京や堺と並ぶ国際都市、豊後府内の姿を今に伝える歴史の継承活動を行っています。

【今回のサミットへの意気込み】
昨年、結成3年目にして初めて「全国火縄銃サミット」に参加しましたが不発ミスの連発で悔しい思いをしました。今回も仕事の都合で思うように練習が出来ませんが、当隊の特徴が出せるように演武したいと思っています。滋賀県の皆様に元気な大分をPRしたいと思います。



彦根商工会議所青年部古式銃研究会 彦根鉄砲隊(滋賀県彦根市)

【隊の由来】
古式銃は、天文12年(1543)種子島に鉄砲が伝来して以来、明治15年(1881)まで作られていましたが、火縄銃を用いる技術・砲術も日本の武芸のひとつとして今日に伝承されています。慶長5年(1600)、細川家の家老で鉄砲第一人者といわれていた「稲富一夢(いなとみいちむ)」は重臣でしたが、関ヶ原の合戦のとき、彼がいた京屋敷が石田三成に焼き討ちにあい、細川ガラシャ夫人が自刃した際、ほかの重臣が殉死するのを尻目に一人だけ逃げ出しました。忠興は激怒しましたが、名人の腕を惜しんで命を助け匿ったのが徳川家康でありました。そして井伊直政公にお預けになりました。3年ほど彦根城のもとに隠匿して暮らした稲富一夢は、この間熱心に砲術の研究をし、「稲富流砲術(いなどめりゅうほうじゅつ)」を確立させました。この当時の砲術を研究開発して現代に伝承しようと、昭和59年彦根の観光による地域おこしを考えていた彦根商工会議所青年部が古式銃研究会を結成しました。鎧も旗指物も赤一色に統一した「彦根鉄砲隊」を再現し、その勇猛果敢な戦いぶりから「井伊の赤備え」として、徳川四天王の一雄と恐れられていた当時のいでたちで、古式砲術の演武を披露しています。彦根市における春の桜まつりや秋のお城まつりの他、県外のイベントにも出向いて、古式銃の演武を披露し、観光彦根を全国にPRしています。

【特徴・活動状況】
彦根市での行事への出務
・春(4月)、GW(5月)、夏(7月)、秋(9月)、開国150年祭等10回
青年部が行う行事への出務
・井伊直政公顕彰式(毎年11/3)、他都市のまつり、式典等への出務
・松江開府400年祭松江武者行列、安土信長まつり、全国火縄銃大会、堺まつりパレード等



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